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ギタリスト大百科

私の知っているギタリストや好きなギタリストをご紹介していきます。たまにギターや音楽と関係無いことも書きますm(_ _)m 最終的にギタリストの広辞苑みたいになればいいなと思っとりますが 多分ごちゃまぜブログみたいになると思います(笑)

Ace Frehley(エース・フレーリー)レスポール片手に、キッスの骨太ハードロックを奏でるスペース・マン

Ace Frehley エース・フレーリー KISS キッス

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画像引用元:http://coolcrazykidsstuff.blogspot.jp/2 

オーディエンスだけでなく、プロミュージシャンたちからも多大なリスペクトを受けるバンドの元祖ビジュアル系ギタリスト


1951年4月27日、米国ニューヨーク州ニューヨークのブロンクス地区でエース・フレーリー(本名 ポール・ダニエル・フレーリー)は生まれた。
父親は電気技師で、両親と姉がピアノを、兄がギターを弾く音楽一家に育つ。

 13歳の時に両親からクリスマス・プレゼントとしてエレキギターを贈られ、それからは ギターの練習に明け暮れる。

高校を卒業した後は、郵便配達や家具配達、酒屋の配達など短期の仕事を転々としながら いくつかのバンドを渡り歩く。
そして1972年にウィキッド・レスターというバンドを解散させたばかりのジーン・シモンズ(b.vo)と ポール・スタンレー(g.vo)が ヴィレッジ・ヴォイス誌に出したメンバー募集の広告を見つけて興味を持ち、応募する。

左右の足に赤とオレンジ、別々の色のバスケットシューズを履いてオーディションに臨んだエースは 沢山の応募者の中でひときわ目立ち、30番目に演奏して見事合格を勝ち取る。そして、半年ほど前に先にグループに加入していたピーター・クリス(ds.vo)を含めた4人で、ついにKISSキッスとして活動を開始する。

キッスのデビュー

キッスを結成した4人は数ヶ月でいくつもの新曲を作り上げ、1973年1月28日から3日間に亘って地元ニューヨークのクイーンズ地区にあったコヴェントリー・クラブでデビューライブを開く。

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画像引用元
http://ameblo.jp/mayu1117/entry-11816398310.html
ラウドなロックンロール・サウンドと白塗りメイクを施した奇抜なスタイルは話題を呼んだが、彼らはさらにそのイメージを発展させようと試みる。
それが、真っ黒なレザーの素材を基調とした衣装と歌舞伎風のメイクだった。

メンバーそれぞれの性格も考慮した上でキャラクターが設定されていった。ジーンは火を吹き空を飛ぶ地獄から来た悪魔「デーモン」、ポールは右の眼からビームを放つ愛の戦士「スター・チャイルド」、ピーターは鋭い爪を持つ猫の化身「キャットマン」、
そして エースは重力の弱い惑星ジェンダル星からやってきた瞬間移動能力をもつ宇宙人、「スペース・マン」としてパフォーマンスするようになる。

火を吹き、血を吐き、ギターやドラムを破壊する過激なステージ演出も手伝って、キッスの人気は 口コミで 瞬く間に拡がっていく。
そんな噂を聞きつけたのが、TVプロデューサーのビル・オーコインだった。同年8月にキッスのステージを初めてみた彼は 2週間以内にレコード契約を取ってくる事を条件に キッスのマネージャーに就任する。

そして当時ブッダ・レーベルを辞めて、新レーベルの設立準備をしていたニール・ボガードとの交渉の末、見事 約束通りに契約を獲得。キッスはその「カサブランカ」からデビューすることになる。

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バンドの大ブレイク、そしてエースの脱退

同年10月からニューヨークのベル・サウンド・スタジオでケニー・カーナーとリッチーワイズをプロデユーサーに迎え、キッスのデビューアルバムのレコーディングが開始された。
1974年2月に発表された「地獄からの使者」は残念ながら、全米チャートで最高84位に留まり、ブレイクするまでには至らなかった。

その後も矢継ぎ早に「地獄の叫び」(74年)「地獄への接吻」(75年)とアルバムをリリースするものの、セールス的には泣かず飛ばずの日々が続く。
しかし 彼らの人気が意外な場所で沸騰していった。それが後の彼らの代表曲のタイトルにもなったミシガン州の工業都市デトロイドである。そして、キッスはここぞとばかりにこの地でライブを決行する。

そして それをレコーディングしたライブアルバム「アライブ~地獄の狂獣」(75年)が全米チャート9位に上がり、キッスは見事大ブレイクを果たす。
続くスタジオアルバム「地獄の軍団」(76年)、「地獄のロック・ファイヤー」(76年)が共にチャート11位を記録し、彼らの人気は不動の物となる。が 成功を掴んで大金を手にした彼らの人間関係に この頃から歪みが生まれ始める。

人気絶頂期に発売された2枚目のライブアルバム「アライブⅡ」(77年)にはスタジオ録音による新曲5曲も収められた。 が エースはそのうち自らがヴォーカルをとった「ロケット・ライド」以外のレコーディングには参加しなかった。すでに気持ちはキッスから離れつつあり、活動はソロ活動へ移行していくのである。

1978年にキッスは煮詰まった人間関係の修復を図るべく活動を休止し、4人はそれぞれソロアルバムを制作する。エース初のソロアルバムは「エース・フレーリー」(78年)は その中でも一番のヒットを記録し、結果 更にソロ活動が強まっていく。

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画像引用元:http://ameblo.jp/youngiryoten/entry-11766217549.html

1979年に「地獄からの脱出」で活動を再開したキッスだが、翌年にピーターがついに脱退。薬☆とア◯コー☆に溺れる生活を送っていたこともあり、キッスの活動から次第にに離れていったエースも1983年にピーターの後を追うように脱退する


ソロ活動の開始とバンド再結成

キッスから離れたエースは早速アントン・フィグ(ds)、ジョン・レーガン(b)らと、フレーリーズ・コメットというニューバンドを結成。


デビューアルバム「フレーリーズ・コメット」(87年)を発表。全米チャート43位、売上50万枚というまずまずのセールスを記録する。
しかし その後リリースした2作品のセールスが揮わず、心機一転ソロ名義で「トラブル・ウォーキン」(89年)を発表するも これも不発に終わりエースはしばし低迷期を迎えることとなる。
一方キッスの方もジーンとポール以外のメンバーがなかなか固定されない中、かつての栄光は次第に色褪せていった。そんな時、MYVアンプラグドのイベントで久々にオリジナルメンバー全員が顔を合わせたことをキッカケに再び黄金のラインナップが復活する。
アルバム「サイコ・サーカス」(98年)は初登場3位を記録する大ヒットとなり、ツアーも大成功を収める。しかし、2000年に再びピーターが脱退。エースも2002年ソルトレイクシティ五輪の閉会式での演奏を最後に再びキッスから脱退する。
エースは2005年からは 俳優業にも進出。そして薬☆中毒からも完全に脱して音楽活動も再開。2009年には約20年ぶりのソロ作「アノマリー」を発表して ファンを驚かせた。

演奏スタイルと使用機材

ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、ピート・タウンゼント、エリック・クラプチン、ジミー・ペイジなどから影響を受けたエースの演奏スタイルは スケールはシンプルながら、硬軟自在なしなやかさを感じさせる。メインギターはギブソンレスポールの
3ピックアップのカスタムモデル。ギブソンから同型のシグネイチャー・モデルも発売されている。アンプはマーシャルを使用。



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