ギタリスト大百科

私の知っているギタリストや好きなギタリストをご紹介していきます。たまにギターや音楽と関係無いことも書きますm(_ _)m 最終的にギタリストの広辞苑みたいになればいいなと思っとりますが 多分ごちゃまぜブログみたいになると思います(笑)

Alexi Laiho(アレキシ・ライホ)メタルでギターソロはダサいという概念を打ち砕いた、ニューメタル・ヒーロー

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画像引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%9B


現行メタルシーンを牽引する若きリーダー

アレキシ・ライホは79年4月8日にフィンランドに生まれている。7歳の頃からヴァイオリンを始めたアレキシは8歳の頃からW.A.S.Pやツイステッド・シスター、ボン・ジョヴィといったヘビィ・メタルに興味を持つようになり、オジー・オズボーンのランディ・ローズ、ジェイク・E・リー、ザック・ワイルド、を聴いたことで11歳の時にギターを手にするようになる。

 その後、スティーヴ・ヴァイ、イングヴェイ・マルムスティーン、ポール・ギルバート、といったギタリストに影響を受け、テクニカルなプレイを身に付けていった彼は
1993年春に学生時代からの友人らと「インアースド」というバンドを結成。
オーソドックスなスラッシュ/デス・メタルをやっていたこのバンドは、あるインディー・レーベルと契約にこぎつけるものの、様々な面で不満を感じていたことから
契約を解消するためにバンドを一時解散、改めて「チルドレン・オブ・ボドム(COB)」という名前のバンドを結成する。何回かのメンバーチェンジを経て、バンドは首都のヘルシンキや近郊で精力的に活動を開始。
アレキシは16歳で高校をドロップアウトし、音楽活動に専念するなか、1997年にヤンネ・ウィルマン(Key)を迎えて制作したデモ・テープがスパインファーム・レコードに渡ると、彼らに可能性を感じた同レコード会社はCOBと契約を交わす。

バンドはまず、同社のコンピレーション・アルバム「METALLILIITーTO」(97年)に「Deadnight Warrior」を提供。このアルバムがフィンランド国内だけで1万枚を超えるセールスを記録したことで、COBは一躍注目を集めることとなったのである。

COBで鮮烈デビュー

このコンピレーション・アルバムで勢い付いた彼らは同年アルバム「SOMETHING WILD」(97年)でデビュー。様式美系ブラック・メタルと呼ばれる音楽とヴォーカルも兼任しているアレキシのスリリングなテクニカル・プレイは大きな話題となり、アルバムリリース後に2度のヨーロッパ・ツアーを実施。そして、そのツアーの中でフィンランドのベテラン・ブラック・メタルバンドのインペイルド・ナザレーンと共演したのを機に、アレキシはこのバンドにも籍をおくことになり、(アルバム「NIHIL」(00年)に参加し、その後脱退)、二足の草鞋を履いて活動を始めるが、そんな多忙のなか、1999年にリリースされた2edアルバム「HATEBREEDER」はデビュー作を遥かに超えるクオリティーを誇っており、日本でもメロディック・デス・ファンを中心に一目置かれる存在となる。さらにアレキシは単身アメリカからノルウェー~スウェーデンにやってきた女性シンガーのキンバリー・ゴス(アレキシと結婚後、離婚)とイン・フレイムスのイエスパー・ストロムブラード(g)がスタートさせたプロジェクトのシナジーにも参加することとなり、彼らは「BEWARE THE HEAVENS」(99年)でデビュー。
アレキシのテクニカルなギターをフィーチャーした正統派のメロディック・パワー・メタル系のこの作品でもアレキシは高評価を得たのだった。


二足の草鞋で大活躍

COBとシナジーの二つのバンドでアレキシはファイアー・ウィンドのガス・Gと共に新世代のギターヒーローとして注目を集める中、1999年7月にイン・フレイムスと共にCOBの来日公演が実現。しかも2バンドと共にスペシャルゲストして シナジーが参加することとなり、アレキシは2つのバンドで日本のファンの前にその存在を強烈にアピール(尚、この時のCOBのライブはアルバム「TOKYO WARHEARTS」(99年)として発売されている。
翌2000年にシナジーの2ndアルバム「TO HELL AND BACK」(00年)をリリースすると、その直後にCOBで「FOLLOW THE REAPER」(00年)をリリースし、2001年4月にはダーク・トランキュリティをスペシャル・ゲストに迎えて、COBは2度目の来日公演を実現させる。さらにヨーロッパやアジアのみならず、ブラジルやチリといった南米までツアーを行った彼らだが、その合間を縫ってアレキシはシナジーのレコーディングにも参加し、3rdアルバム「SUICIDE BY MY SIDE」(02年)をリリース。
6月にはアングラと共にシナジーは2度目の来日公演を実現させている。

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ワールド・ワイドで活動

COBの活動が世界規模になったことで、この「SUICIDE BY MY SIDE」を最後にシナジーでの活動を休止させると、COBは4作目となる「HATE CREW DEATHROLL」(03年)をリリース。パワー、スピード、テクニックの全てをハイレベルで兼ね備えたこのアルバムは彼らの最高傑作と呼ぶにふさわしい出来となり、9月の3度目の来日公演も、あっという間にソールド・アウトとなる。
その勢いのままユニバーサル・ミュージックを通じてワールド・ワイドでリリースされた「ARE YOU DEAD YET?」(05年)で、アメリカのバンドのようなストレートでアグレッシブなモダン・ヘヴィ系のスタイルを展開すると、アメリカ・ツアーに続き、「LOUD PARK 06」でもプレイし、貫禄のパフォーマンスを披露する。

このツアーの中からストックホルムでのライブをDVDの「CHAOS RID-DEN YEARS - STOCHHOLM KNOCKOUT LIVE」(06年)としてリリースした後、前作から3年ぶりとなる6作目の「BLOODDRUNK」(08年)をリリース。
このアルバムが全米チャート最高22位にランクされ、名実共に人気バンドへとのし上がった彼らは、「LOUD PARK 09」への出演を含むワールド・ツアーを大成功に終わらせ、2011年3月にテクニカルな要素を強くした通算7枚目のアルバム「RELENTLESS RECKLESS FOREVER」を発表している。


アレキシの主な使用機材

デビュー時はジャクソンのランディー・ローズVを使っていたアレキシだが 盗難にあって、2003年からESPの「Scythe」,「Arrow Head」,「Sawtooth」,「Pink・Sawtooth」,「Alexi USA」といったオリジナル・モデルを使用。
いずれもランディー・ローズVと似た雰囲気のVシェイプ・モデルで1ハム(EMG)、1ボリューム、フロイド・ローズ・トレモロユニットを搭載しており、20~24フレットまでスキャロップド・フィンガー・ボードにしているのも大きな特徴となっている。

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