ギタリスト大百科

私の知っているギタリストや好きなギタリストをご紹介していきます。たまにギターや音楽と関係無いことも書きますm(_ _)m 最終的にギタリストの広辞苑みたいになればいいなと思っとりますが 多分ごちゃまぜブログみたいになると思います(笑)

Alvin Lee(アルヴィン・リー)ブルース・ロックの元祖早弾きギタリスト

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画像引用元:http://p.twipple.jp/ouD2T


TYA結成以前

1944年12月19日、アルヴィン・リーは英国のノッティンガムで生まれた。
両親がブルースやジャズのレコードをコレクションしていたため、子供の頃よりそれらを聴いて育ち、12歳ころにはロックン・ロールの影響を受けてギターを弾くようになる。

 当時の彼のアイドルはチャック・ベリーとスコッティ・ムーア。14歳でロンドンへと向かい、レオ・ライオンンズ(b)、と出会ってバンドを結成。
様々なバンドに加わりながら、ロンドンのクラブに入り浸る10代を過ごしている。
アトマイツというバンドをはじめとして、いくつものバンドで演奏した末にジェイバーズと名乗り、地元ノッティンガムではそこそこの人気を獲得。

62年には5週間に及ぶハンブルグでの仕事もこなしている。そして64年、彼らは一旦ノッティンガムに戻り、リック・リー(ds),スタジオ・ミュージシャンの仕事で知り合ったチック・チャーチル(key)、を加えて、65年に再びロンドンへ進出。この時点でバンドはブルースを中心とした音楽性を確立し、66~67年にはテン・イヤーズ・アフターと名乗るようになっていた。なお、バンド名の由来については諸説あるが、どれも確証はない。


ブレイクを果たした60年代後期

1967年5月、TYAはロンドンの名門クラブであるマーキーでデビューを飾る。
デラム・レコードと契約を交わし、同年10月にはデビュー・アルバム「テン・イヤーズ・アフター」を発表。68年の夏にはビル・グラハムによって初のアメリカ・ツアーが組まれ、大好評を博した。当時のイギリスはブルース・ロックが注目を集めていたが
TYAの評判を呼んだのはアメリカの方が先だった。そして、セカンドアルバムとしてリリースされたライブ盤「アンデッド(イン・コンサート)」はTYAの魅力を存分に伝える事に成功し、イギリスでもブレイクを果たす。

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激動の1969年

69年2月にはサード・アルバム「ストーン・ヘンジ」を発表し、「再びアメリカ・ツアーに出発。7月のニューポート・ジャズ・フェスティバルにはジョン・メイオール、ジェスロ・タル、ジェフ・ベックグループなどと出演。
そして8月には歴史的イベント、ウッドストック・フェスティバルにも出演。
TYAは最終日の夜に登場しており、音源、および映像として残された「アイム・ゴーイング・ホーム」は当時のロック・シーンに大きな衝撃を与えた。
同月には4枚目のアルバム「SSSSH(夜明けのない朝)」がリリースされ、全米アルバム・チャート20位を記録。このアルバムの成功により、TYAはライブの評判だけでなくアルバムセールスにおいてもビッグ・ネームの仲間入りを果たした。


キャリアの頂点を極めた70年代

5枚目のアルバム「くりっくるウッド・グリーン」(70年)は全米14位をマーク。
シングル曲「ラブ・ライク・ア・マン」は全英4位を記録。その後、ワイト島フェスティバルを含む大掛かりなツアーを行い、6枚目のアルバム「ワット」を全米21に送り込んで70年を締めくくっている。
翌71年にはクリサリスへ移籍し、アコースティック色を効果的に取り入れた「ア・スペース・イン・タイム」を発表。このアルバムは全米17位を記録し、ミリオン・セラーをマーク。この年のアメリカツアーも大成功だった。
72年になるとデラム時代の未発表曲を集めた「アルヴィン・リー&カンパニー」と新作「ロックンロール・ミュージック・トゥ・ザ・ワールド」がリリースされ、5月にはプロコル・ハルムとのジョイントで初来日。翌73年5月にも再来日し、2枚組ライブ・アルバム「ライブ」をリリース。
そして74年、いよいよソロ活動を開始。まず、アメリカのゴスペル系シンガー、マイロンルフェーヴルとの共作「オン・ザ・ロード・トゥ・フリーダム」でレイドバックしたサウンドを聴かせ、さらにメル・コリンズ、イアン・ウォレスらと共にアルヴィン・リー&カンパニーを結成してレインボーシアターにおけるライブを「栄光への飛翔」として発表。一方、TYAとしては「ポジティブ・バイブレーションズ」をリリースし、75年までツアーを行っている。しかし、続くソロ作「バンプ・アイアン」(75年)、「レット・イット・ロック(78年)のリリース後、新たにテン・イヤーズ・レイターが結成されるに至り、TYAは自然消滅。テン・イヤーズ・レイター名義では「ROCKET FUEL」(78年)、「RIDE ON」(79年)の2枚を残している。



80年代以降のソロ活動とTYAの再結成

80年にはテン・イヤーズ・レイターも消滅新たにアルヴィン・リー・バンドを結成し、アルバム「FREE FALL」(80年)をリリース。そしてキーボードのメンバーを加えて「RX5」(81年)を発表。しかし、83年には再びTYAを再結成。
同様に期間限定的な再結成は88年、89年にも行われ、89年にはTYAとしては15年ぶりのオリジナル・アルバム「アバウト・タイム」も発表。その間86年にはジョン・ロード、ジョージ・ハリスン、ボズ・バレルなど多数のミュージシャンが参加したソロ・アルバム「DETROIT DIESEL」もリリース。その後もTYAの再結成は94年、97年と行われている。中でも97年の再結成は2000年までの長きに渡り、初のブラジル・ツアー、ヨーロッパ各地のロック・フェスティバル、また98年にはウッド・ストック98,A Day in the Gardenコンサートにも出演している。01年には70年のライブが収録された「Live at the fiimore east 1970」も発掘リリースされ、TYA再評価の波が高まった。一方、アルヴィン・リーのソロ名義では「ZOOM」(92年)、「NINETEEN NINETY FOUR」(94年)、94年録音のライヴ・アルバム「LIVE IN VIENNA」(95年)、そして今のところの最新作「SAGUITAR」(07年)を発表。
2013年、手術後の合併症が原因で逝去。68歳。


演奏スタイルおよび機材

フル・ピッキングによる早弾きがまず印象的。もちろんハンマリングやプリングを駆使したなめらかなフレージングもピカイチである。また、時折聴かせるエコノミー・ピッキングはスウィープ奏法の先祖のようなもので、これによりさらにスピード感はアップしている。音使いはブルージーなマイナー・ペンタトニックにb5thを加えたスケールを主体に、6thや3rd,9thを加えてジャジー&スウィンギーな雰囲気を醸し出すこともある。使用ギターはトレード・マークとなった1959年製チェリー・レッドのギブソンES-335,通称ビッグ・レッドと呼ばれるものである。最大の改造点はストラトキャスターのピックアップをセンターに設置し、専用のボリューム・ノブまで増設してある点。
初期にはビグスピーのトレモロが取り付けられていたこともある。
ヴィジュアル面の特徴はフェスに出演するたびに貼られて増えていった、ボディー・トップのステッカー。後にステッカーの上からオーバー・ラッカーしたため、今となっては剥がすことはできない。
アンプは昔からずっとマーシャルのスタッグ・アンプだったが、その後はジュビリー2550の使用も確認された。エフェクターに関しては正直ほとんど情報がないが、レコードの音で聴く限り、ファズやワウ・ペダル、レズリー・スピーカーなどを使っていたと推測される。

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